ユニオン製ゼロファイター改造R/C 第二号機 (川崎キ-100 五式戦) 2001.11.22 その後・・・ 追加!
グリップ様のご好意により、原文のまま公開致します。
 
 
はじめに
 
一号機の零戦21型が度重なる改造のちに飛行に適さないような状態になり用途廃棄になったあと第二号機の製作にかかりました。 
一号機の製作でFK-180SHモーター+オリジナルペラでの飛行が可能なことは既に確認できましたので、
第二号機は軽量化と、なるべくオリジナルのデイメンジョンを変更しないでできる機体の製作を目指しました。 
再度、零戦を製作しても良かったのですが、変わったことをしたかったので(笑)、ノーズが長いゼロファイターうまく使って重心をあわせる為に、
すべて旧日本海軍・陸軍機ですが、彩雲、天山、彗星34型、キ-100 五式戦をの候補をあげて検討しました。 
当初は、彩雲が候補だったのですが主翼の平面形があまりにも違うのと、ノーズの更なる延長が必要と思われたので個人的趣味でキ-100 五式戦を選択しました。
 
川崎キ-100 五式戦について
 
川崎キ-100 五式戦は、戦後YS-11等の設計でも著名な故土井 武夫先生が設計されたキ-61 三式戦 飛燕を
空冷エンジンの三菱ハ-112に交換し改造を加えた旧日本陸軍の最後の制式単座戦闘機です。 
1944年10月に液冷エンジンのハ-140搭載予定の三式戦II型が、エンジンの生産が間に合わず機体だけが完成した状態を打開するために、
同程度能力と生産余力のあった空冷エンジンハ-112が選択されて、翌45年2月1日に初飛行しました。 
改造のための設計にあたっては、研究用の輸入されたフォッケウルフFW190A-5の空力処理が、
母体となった三式戦II型にとりつけるために参考とされたのは有名な話です。
 完成したキ-100は川崎も陸軍も驚くほどの高性能ぶりを発揮し、正式採用された後にはさっそく大量生産とさらなる改良が進められました。
エンジンなしの三式戦II型を改造した最初の型はI型とよばれ、さらにキャノピーを水滴型に変更された改良型が4月ごろに完成しました。 
便宜上前者をI型甲、後者をII型乙と呼ばれるようである。また高高度で来週するB-29を迎撃するために排気タービンを備えたII型も試作されました。 
生産機数は、三式戦からの改造が275機、新規生産分が115機の計390機といわれています。 
五式戦は戦況風雲の折、正式採用直後の45年3月には、三式戦を装備していた第18戦隊(千葉県 柏)をはじめに、第5(愛知県 清州)、
17(台湾 八塊)、59(福岡県 芦屋)、111(三重県 明野等)、112(群馬県 新田)、
244戦隊(東京都 調布等)の実戦部隊に配置されてB-29や米軍艦載機の迎撃に活躍しました。
 現在、五式戦の現存機は一機のみで戦後シンガポールで捕獲された乙型がイギリスのコスフォード博物館にあります。 
また、45年4月7日に撃墜された第18戦隊の平馬曹長の乗機の部品の一部が越谷の水田から47年に発掘されて靖国神社と麻績村立聖博物館、
航空自衛隊熊谷基地、陸上自衛隊海田駐屯地、木更津駐屯地にあります。
 
製作にあたって
 
製作にあっては五式戦に似させることはもちろん、飛行にひつような部分では一号機での経験を生かしつつ、
全備重量185gを目標としました。改造点は以下の通りです。
 
胴体
・機首の8mmカットと、カウリング後方の凹みの作成、カウリング周りの改造(当初は、
重心をあわせるのが容易なため機首カットする予定ではなく製作をすすめたが、あまりにもフォルムが違った為)
・キャノピーの自作(型としてゼロファイターのものとムスタングのものを合わせて使用し、透明エンビ板を真空ヒートプレス)
・ムスタング用ペラの使用(大型スピナーとペラ径が数ミリ大きい)
・胴体断面を五式戦にあわせて改造(ひたすら削った)
 
 (この頃はまだ機首のカット前。キャノピーは未装着)
主翼
・バルサ製スパーの追加と主翼下部をスチレンペーパーでカバー(つまり翼型はフラットボトムに)
・エルロン製作(オリジナルと同じ長さで1mm前後方向に大きい-実機縮尺からは少し幅エルロンが大きい)
・翼幅の延長12mm(実機のアスペクト比が高い為。本当はもう少し伸ばしたかったのですがリンケージ長の都合上)
・上半角の低減
 
 
(翼幅延長は、真ん中に12mm幅のスチレンペーパーをはさんで、尚且つバルサスパーをカンザシ状に処理して対応)
 
尾翼
・水平尾翼の舵面平面形改造(全体の平面形は零戦によく似ているのですが、舵面の形状が異なります)
・垂直尾翼の舵面改造(当初は、舵面のみを製作。しかし初飛行後、面積過大と重量減を行う為、舵面・本体とも約2mmずつ削った)
 
その他
・電源スイッチの追加-オリジナルのスイッチ改造
(ロスを考えればないに越したことないのですが、バッテリーの積み下ろしには主翼を外す必要があるため)
・バッテリー搭載位置をできるだけ前にそして低くなるように内部を検討
製作で特に困難だったのは、胴体の断面形の改造でこれはひたすら削りました(しかしこれがあとで悲劇につながるとは)。
五式戦のオリジナルが液冷エンジンを持つ三式戦だったためにきわめて立て細な断面で、これにあわせるのに苦労しました。
エンジンカウルは本来ならもっとボリュウムがあるのですが、これはあえて抵抗を増えるのでオリジナルから大きくしていません)。
 
塗装前の完成重量は、180gとなりました。本来ならもう数グラムかるくなるはずだったのですが、
主翼底面を胴体との境目がうまく処理できず、この部分でロスをしました。完成時重心はオリジナルの補強スパーの前縁でこれはほんの少し予定より後ろです。
 
塗装とマーキング
・上面タミヤ製オリーブドラブ2、下面アルミシルバーを使用
・マーキングは244戦隊 戦隊長・小林 照彦少佐機を推定
首都防衛の任を担った調布の244戦隊が三式戦から五式戦に転換後、沖縄戦支援のために鹿児島県・知覧に展開し、
その後、戦力温存と回復のために終戦直前の7月に移動した滋賀県の八日市飛行場と五式戦への個人的趣味とは、関連があります。 
沖野が原につくられた八日市飛行場は、大正4年に初の民間飛行場として開場して以来、昭和になって陸軍飛行第三連隊の基地として使用されてきました。 
八日市飛行場に移動した244戦隊は、本土決戦のために戦力温存を行い、交戦をさけて訓練をおこなっていたようですが、
7月24日の大津と八日市飛行場への米軍艦載機による空襲に続く、翌25日早朝上層部の交戦禁止令を破って、
小林戦隊長の命で訓練目的に30数機の五式戦は次々に発進し、地上掃射を目的に高度を下げていたF6F二十余機を有利な体制から攻撃、
12機撃墜の撃墜(2機損失)を報告しました。 
戦後の調査では、実際の米軍の被害は2機損失、被弾6機だったようですが、終戦直前の数少ない、対戦闘機戦となりました。
 この八日市飛行場も今は、八日市インターチェンジや工場地帯になっています。
 45年、この隣村にあった祖母の実家に当時小学校だった父親が疎開していました。
 当時の父親の記憶では米軍艦載機がパイロットの顔が見えるくらい超低空飛行で機銃掃射のために、飛来してきていたらしいです。
 残念ながら父の記憶には、日本軍の戦闘機の記憶はないらしいのですが、滋賀県の戦争記録によると爆撃や機銃掃射の記録に加えて、
八日市上空や琵琶湖上空での空中戦の記録が見られます。塗装については、濃緑色と呼ばれるかなりオリーブグリーンに近い色が上面色に、
下面は無塗装ということでアルミシルバーの塗装を行いました。マーキングについては、244戦隊のマーキングがわかる、
乙型の機体全体を撮影した写真は公開されていないようで、戦後調布で米軍により撮影さえたファーストバックの甲型の写真を参考にしました。 
また、機番はあくまでも推定で、唯一公開されている小林少佐の撃墜・撃破マークを描いた五式戦の写真を参考にマーキングをしてみました。 
塗装による重量増は予想を越えて6gにも及び最初の塗装後の全備重量は、187gとわずかながら予定重量をオーバーしてしまいました。
 

 (まだ初飛行前で綺麗なころの様子)
 
(マークは透明デカールを熱転写プリンターで印刷して製作)
 
(脚カバーは調布の甲型で上面色で塗装されていたのを参照。増槽/爆弾懸吊架は本当はもっと内側)
 
飛行について
 
重量はわずかながら目標を上回ったものの、大体思ったように完成したので無風の日を選んで初飛行を行いました。 
結果は、プロペラトルクに押されて左に緩やかに旋回しながら約2秒で落ちてしまいました。
そして、これからが悪夢で形状を気にして散々削った胴体がキャノピー前で完全に折れてしまいました。 また、薄めに左主翼翼端も壊れてしまいました。
瞬間接着材と接着促進材を多用して、修復を終え、ややダウン及び右よりにトリムを変更して、2回めの飛行は不安定ながらなんとか飛びました。
手投げ直後はダウン気味が、いったん加速すると強烈な頭上げを起こしトリムもろくろく取れずになんとか無事改修しました。
 その後、4度にわたる胴体の破損でまるで胴体は輪切り状態をあわせたようになりました。
 どうも一箇所壊れて瞬間+接着促進材で補修するとその部分が強化された分、それ以外に負荷がかかるようです。
 上手な飛行機作りは、模型・実機問わず、重量を最小限に抑えて、必要なところだけ補強すると言われますが、折角綺麗だった胴体もボロボロになってきました。
 また主翼端や尾翼端も壊れやすく、10回目の飛行の頃には、度重なる補修と補強で当初より6g増の192gまで重量が増加していました。
 頭上げ現象は、トリムだけ修正できず、結局エレベーターサーボの搭載位置を前進させてバッテリー・モーターとも数ミリ、前進させました。
このあたりはカッコを気にして、ノーズカットした余波が出てきています。 改修の結果重心位置は、オリジナルの主翼のスパーより1mm前くらいになりました。
 アンテナ線も重量が2g近くあり、当初は機体後部からただ伸ばしていただけでしたが、前に戻して再度胴体後部に戻すような処理をしています。
 耐電波障害上は理想ではないですが、機体と送信機の距離は常に100m以下なのでなんとか今のところは使えています。
 というよりも曇天のときなどは機体の動きが、灰緑色の一号機よりつかみにくいので目の前をグルグルという感じです。 
 
 (左側が前。一号機よりラダーサーボの搭載位置を前進)
 
調整としてはモーターを再度外して、ダウン・サイド両方とも増やして段々飛ばしやすくなっています。 
またほんのすこしだけ、胴体の主翼取り付け部を合わせて主翼の取り付け角度を減らしました。 
それでも、中速でトリムを合わせると、全開ではかなり頭上げがでるので手トリムで合わせています。 
意外だったのは無風の日を選んで飛ばしているせいもあるかもしれないのですが、
上半角をオリジナルの半分くらいに減らしたのにもかかわらずロールの安定性は良好です。
 垂直尾翼も5%程度減少させました。 バッテリーの搭載位置を縦方向に約5mm、一号機より下にしたことが利いているのかもしれません。
 また失速特性は意外と良好で、また滑空比も悪くなく、モーターストップでも低速まで安定してかなり伸びてくれます。
 翼型と翼端延長、機体形状の変更が良いほうに出ているかもしれません。 飛行パフォーマンスは、一号機の主翼改造前と、同等という感じです。
 最初は、頂点でねじれてしまったループのその後の尾翼周りの補強で改善しました。 
 ロールはハーフロールならなんとかなるのですが、フルロールは相変わらず厳しいです。
 現在は、できるだけ風がない日を選んで調整を進めていますが、胴着させる場所の状態が季節変化で、厳しくなったこともあるのですが、
やはり飛行後は胴体を中心にどこかがヒビが入ったり、割れたりして閉口しています。
 塗装による補修隠しも限界になったので、実機でも下地処理なしでいきなり上面色を塗って、塗装禿げが激しかったことから銀色を使って誤魔化しています。
 最初からは、迫力が出たというより正直、随分汚い機体になって来ています(笑)。
 

 (キャノピー上部のアンテナは紙製で取り外し式。 ピトー管やスピナー先端のフックは安全性と破損を考えて未装着)
 
ユニオン製ゼロファイター改造R/C 川崎キ-100 五式戦 スペック
 
全長:                   415mm
全幅:                   520mm
全高:                   100mm
上半角:               翼短で約80mm
機体重量:            136g(除くバッテリー)
バッテリー重量:     54g(7セル110mA)
サーボ                  GIGA x 2
レシーバー            GWS PICO
アンプ:                 シュルツSlim 08
モーター:              ABC M&Y FK-180SH
ペラ:                    ユニオンフリーフライト ムスタング流用 径105mm
スケール:             約1/21(胴長五式戦です)
 
<参考資料>
文林堂            世界の傑作機 陸軍五式戦闘機
モデルアート    日本陸軍機の塗装とマーキング 戦闘機編
光人社            図解・軍用機シリーズ 飛燕・五式戦/九九双軽
渡辺 洋ニ       死闘の本土上空 等
 

TORII談)
いや〜本当にスゴイですね!
グリップ様ありがとうございました。
皆さんも御一機いかがですか!?
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その後・・・・)  2001.11.22 (GRIPさんからその後の連絡がありました。)

 残念ながら二号機、五式戦は墜落大破のため、事故廃棄となりました。
度重なる破損にも、、めげず飛行を続けておりましたが胴体後部の破損・修理に伴い後部の重量が増した為に重心が合わず、
トリム調整中にスピンに入ってしまい10m位しか高度を確保していなかった為に、
そのまま回復処置も間に合わず地面に激突しました。
損傷の具合は、修理した後部はまったく無事だったのですが、エンジンカウル部、そして主翼が真ん中から完全に折れました。
 これまでの破損・修理で200gは既にオーバーしていたのですが、
これを修理するとなると更なる重量増が見込まれ、泣く泣く事故廃棄としました。

最近、ゼロファイターも店頭在庫では見なくなり一応これでゼロファイター改造計画
もいったん区切りをつけたいと思います。

 最後に自分なりのまとめとして、

1) 重心に注意(主翼補強より後ろになるようでは駄目)
2) エルロン化する場合には、
 カッコにとらわれず全翼幅エルロンにしたほうがリンケージ重量、
 そして低速(とくに発進直後)の舵利きを確保するために有利。
 プロペラ後流を生かせます。
3) 主翼翼型は、オリジナルがいいようです。
 ラジ技の翼型に関する講座で発見したのですが、レイノルズ係数の関係で、
 ゼロファイターのような超小型機(速度及び翼幅に比例)は不利です。
 そこに圧翼をつけると益々に失速特性が急激且つ低速で発生しするようになります。
 オリジナルで使われている翼型はこの点有利です。

あえて、これまで改造してきた中でいえば、
オリジナル翼+フルエルロン+水平尾翼取り付け角を主翼と平行が一番良かったような気がします。 

4) 胴体の改造には注意。
 五式戦の場合、できるだけ形を似せるためにかなりの削りこみを行いましたが、
 通常飛行では障害ないものの、事故やハードランディングの際にはすぐに壊れました。
 結局これで補修が重なり重量増になったので、
 もしある程度形を整えたいような場合は内側にバルサ等で少し補強を入れるなりの処置が望まれます。
   

TORII談)
貴重なレポートありがとうございました。
グリップさん五式戦大変残念でしたね。
しかし、グリップさんの挑戦は、皆さんの参考と励ましになると思います。